はじめに
「問題社員を懲戒処分にしたいが、後で無効と言われないだろうか」「就業規則に懲戒事由を書いてはいるが、これで本当に大丈夫なのか」——企業の経営者や人事労務担当者から、このようなご相談をいただくことが少なくありません。
懲戒処分は、企業秩序を維持するために使用者に認められた重要な権限です。しかし、その行使を誤ると、処分そのものが無効と判断され、かえって企業がバックペイ(未払賃金相当額)の支払いや損害賠償責任、さらには従業員との信頼関係の毀損といった大きなリスクを負うことになります。
その懲戒権行使の限界を定めているのが、労働契約法第15条です。本稿では、社会保険労務士の立場から、条文そのものの内容、行政・裁判実務上の考え方、そして企業が実務上留意すべきポイントを、法令・通達・裁判例といった一次情報に基づいて解説します。
労働契約法第15条の条文
まず、条文そのものを正確に確認しておきましょう。労働契約法第15条は、次のとおり定めています。
(懲戒) 第十五条 使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、当該懲戒は、無効とする。
条文はわずか一文ですが、この中に、懲戒処分の有効性を判断するための重要な要素が凝縮されています。
条文の構造を分解する
労働契約法15条を実務で使いこなすためには、条文の構造を分解して理解することが有益です。条文は、大きく次の2つの要件から成り立っています。
- 前提要件:使用者が労働者を「懲戒することができる場合」であること
- 権利濫用の判断要素:懲戒が「客観的に合理的な理由を欠き」「社会通念上相当であると認められない」場合には無効となること
そして、この権利濫用に該当するか否かを判断するにあたっては、「当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情」が考慮される、と条文自体が明記しています。
つまり、労働契約法15条は、単に「懲戒してはいけない」と定めているのではなく、懲戒すること自体は使用者の正当な権限として前提としつつ、その行使が行き過ぎた場合(権利の濫用)に限って無効とする、という構造になっている点が重要です。
なぜこの条文が設けられたのか(立法趣旨)
労働契約法は平成19年に制定され、平成20年3月1日に施行されました。同法は、それまで裁判例の積み重ねによって形成されてきた判例法理(労働契約に関する基本的なルール)を、法律の条文として明文化したという特徴を持っています。
厚生労働省が委託し、全国社会保険労務士会連合会が作成した実務解説資料では、第15条の趣旨について次のように説明されています。
懲戒は、使用者が企業秩序を維持し、企業の円滑な運営を図るために行われるものですが、懲戒の権利濫用が争われた裁判例もみられます。また、懲戒は労働者に労働契約上の不利益を生じさせるものであり、権利濫用に該当する懲戒による紛争を防止する必要があることから、権利濫用に該当するものとして無効となる懲戒の効力について規定したものです。
(出典:厚生労働省委託・全国社会保険労務士会連合会「中小企業のための就業規則講座 就業規則作成・見直しのポイント」)
つまり、懲戒をめぐる労使紛争が増加傾向にある中で、懲戒権行使に一定の歯止め(権利濫用法理)を法律上明確化することで、労使双方にとって予見可能性を高め、紛争を未然に防止することを目的として設けられた規定であるということができます。
「懲戒」とは何を指すのか——労働基準法第89条との関係
労働契約法15条にいう「懲戒」とは何を指すのでしょうか。この点について、前掲の厚生労働省委託資料は次のように説明しています。
なお、「懲戒」とは、労働基準法第89条第9号の「制裁」と同義であり、同条により、当該事業場に懲戒の定めがある場合には、その種類及び程度について就業規則に記載することが義務付けられている項目です。
労働基準法第89条は、常時10人以上の労働者を使用する使用者に対し、就業規則の作成・届出義務を課すとともに、就業規則に記載すべき事項を定めています。このうち「表彰及び制裁の定めをする場合においては、その種類及び程度に関する事項」(同条第9号)は、相対的必要記載事項(懲戒制度を設ける場合には必ず記載しなければならない事項)とされています。
ここから導かれる重要な帰結は、懲戒処分を行うには、原則として就業規則に懲戒の種類・程度・事由があらかじめ定められ、労働者に周知されていることが前提となる、という点です。就業規則に根拠のない懲戒は、労働契約法15条にいう「使用者が労働者を懲戒することができる場合」に該当せず、そもそも懲戒権の行使自体が認められない可能性が高いということになります。
権利濫用か否かを判断する2つの視点
労働契約法15条は、懲戒が権利濫用として無効となるかどうかを、次の2つの視点から判断すると定めています。
(1)客観的に合理的な理由を欠くか
懲戒処分の対象となる事実が、就業規則にあらかじめ定められた懲戒事由に該当しているかどうかという視点です。存在しない事実や、就業規則の懲戒事由に該当しない行為を理由に懲戒処分を行うことはできません。
(2)社会通念上相当であると認められるか
仮に懲戒事由に該当する事実が認められたとしても、その処分の重さが、行為の性質・態様・悪質性、労働者への影響、会社への損害の程度などに照らして、社会一般の常識から見て「重すぎない」ものでなければならない、という視点です。
たとえば、軽微な遅刻を理由にいきなり懲戒解雇とするような処分は、たとえ「遅刻」という事実自体は存在していても、処分の重さが行為に見合っておらず、社会通念上相当性を欠くとして無効と判断される可能性が高くなります。
懲戒処分が有効と認められるための実務上の原則
条文の解釈を踏まえ、実務上、懲戒処分が有効と認められるためには、次のような原則を満たす必要があると整理されています(前掲・厚生労働省委託資料より)。
- 明確性の原則:懲戒処分の種類、事由、程度等が就業規則に定められ、労働者に周知されていること
- 平等待遇の原則:違反行為の種類及び程度が同じ事案に対しては、同一の種類・程度の懲戒処分とし、均衡を失しないようにすること
- 相当性の原則:違反行為の種類及び程度と、懲戒処分の種類及び程度が均衡を失していないこと
- 不遡及の原則:違反行為があった後に懲戒規定を新たに定め、遡ってその行為に処分を科すものでないこと
- 適正手続の原則:懲戒処分を行うにあたって、本人に弁明の機会を与える(賞罰委員会・懲罰委員会への諮問、労働組合との事前協議等)など、適正な手続を踏むこと
このほか、実務上は、一つの違反行為に対して二重に処分を科してはならないという二重処分(一事不再理)禁止の原則、懲戒事由に該当する行為を行った本人以外に処分の効果を及ぼしてはならないという連座制禁止の原則も重要な考慮要素とされています。
これらの原則のいずれかを欠く場合、懲戒処分は「客観的に合理的な理由を欠き」「社会通念上相当でない」ものとして、労働契約法15条により無効と判断されるリスクが高まります。
就業規則における懲戒規定の留意点——労働基準法第91条との関係
就業規則に懲戒規定を定める際には、労働基準法第91条による制限にも注意が必要です。同条は、就業規則で減給の制裁を定める場合について、次のような上限を設けています。
- 1回の額が平均賃金の1日分の半額を超えないこと
- 総額が一賃金支払期における賃金総額の10分の1を超えないこと
この制限を超える減給規定は、労働基準法違反として無効となる可能性があるため、就業規則の作成・見直しにあたっては必ず確認すべき事項です。
裁判例に見る労働契約法15条の適用
条文の解釈をより具体的にイメージするために、最高裁判所の判例を2件確認しておきましょう。
海遊館事件(最高裁第一小法廷 平成27年2月26日判決)
大阪の水族館を運営する会社の男性管理職2名が、部下の女性従業員に対して1年余りにわたり性的な発言等のセクシュアルハラスメントを行ったことを理由に、出勤停止の懲戒処分(それぞれ10日間・30日間)を受け、さらに資格等級制度に基づく降格処分を受けたことについて、当該従業員らが処分の無効等を争った事案です。
最高裁は、管理職としてセクハラ防止研修を受け、方針を十分理解し得る立場にあったにもかかわらず、極めて露骨で卑わいな発言等を継続的に行っていたことなどを踏まえ、被害者からの明示的な拒否の姿勢が見られなかったことや事前の警告がなかったことをもって処分を軽減すべきではないと判断し、出勤停止処分及びこれに伴う降格処分について、懲戒権又は人事権の濫用に当たらず有効であると結論づけました。
この判決は、職場におけるセクシュアルハラスメントに対する懲戒処分の相当性を判断するにあたり、加害者の管理職としての立場や社内研修の受講歴、行為の期間・態様等を総合的に考慮すべきことを示した重要な判例として位置づけられています。
日本ヒューレット・パッカード事件(最高裁第一小法廷 平成24年4月27日判決)
コンピュータ関連会社に勤務するシステムエンジニアが、上司からの盗撮被害を訴える言動等をきっかけに欠勤を続けたところ、就業規則所定の懲戒事由である「正当な理由のない無断欠勤」に該当するとして諭旨退職の懲戒処分を受け、その無効を争った事案です。
最高裁は、当該従業員の欠勤が、被害妄想などの精神的な不調に起因する可能性を疑わせる事情があった以上、使用者としては、精神的な不調の内容を明らかにするために治療を勧めたり、必要に応じて休職等の対応を検討したりすべきであり、そのような対応を取らないまま行った諭旨退職の懲戒処分は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当なものとして是認することはできないと判断し、当該懲戒処分を無効としました。
この判決は、無断欠勤を理由とする懲戒処分であっても、その背景事情(特に労働者の心身の状況)を十分に考慮しないまま処分を行うことは、権利濫用として無効になり得ることを示した点で、実務上重要な意義を持っています。
企業が実務上留意すべきポイント
以上を踏まえ、社会保険労務士の立場から、企業が懲戒処分を検討する際に留意すべき実務上のポイントを整理します。
第一に、就業規則における懲戒規定の整備状況を確認することです。 懲戒の種類・程度、懲戒事由が具体的かつ包括的に規定され、労働基準法第106条に基づき労働者に周知されているかどうかは、懲戒処分の有効性を左右する大前提となります。
第二に、事実関係の客観的な調査を尽くすことです。 関係者へのヒアリング、客観的資料の確認等を通じて、懲戒事由に該当する事実を的確に把握する必要があります。
第三に、処分の程度が行為に見合っているかを検討することです。 過去の同種事案における処分内容との均衡(平等待遇の原則)、情状酌量の余地の有無を踏まえ、段階的に軽い処分から検討することが望ましいとされています。
第四に、適正な手続を履践することです。 就業規則に懲戒委員会等の設置や本人への弁明機会の付与に関する定めがある場合には、これを省略すると、それ自体が処分の重大な瑕疵となり得ます。
第五に、日本ヒューレット・パッカード事件が示すとおり、労働者の心身の状況にも配慮することです。 無断欠勤やその他の問題行動の背景に、健康上の問題が疑われる事情がある場合には、懲戒処分に先立って、労働契約法第5条の安全配慮義務の観点からも、状況の確認や必要な配慮を検討することが求められます。
まとめ
労働契約法第15条は、条文自体は一文と簡潔ですが、その背後には「客観的に合理的な理由」と「社会通念上の相当性」という2つの判断軸、そしてそれを支える明確性・平等待遇・相当性・不遡及・適正手続といった実務上の諸原則が存在しています。
懲戒処分は、企業秩序の維持のために必要な手段である一方、労働者に大きな不利益を及ぼすものでもあります。だからこそ、就業規則の整備、事実調査の徹底、処分の相当性の検討、適正な手続の履践という一連のプロセスを丁寧に踏むことが、後日の紛争を防止し、双方にとって納得感のある労務管理につながります。
懲戒処分の要否や内容の相当性について判断に迷う場合には、自己判断で進めるのではなく、顧問社会保険労務士や弁護士等の専門家に早期に相談することをお勧めします。
参考文献・出典一覧
- 労働契約法第15条:e-Gov法令検索
- 労働基準法第89条・第91条・第106条:e-Gov法令検索
- 厚生労働省委託・全国社会保険労務士会連合会「中小企業のための就業規則講座 就業規則作成・見直しのポイント」:厚生労働省
- 厚生労働省「モデル就業規則について」:厚生労働省
- 最高裁判所第一小法廷判決 平成27年2月26日(海遊館事件)
- 最高裁判所第一小法廷判決 平成24年4月27日(日本ヒューレット・パッカード事件)
本稿は、法令・通達・裁判例等の公開情報に基づき、一般的な情報提供を目的として作成したものです。個別の事案における懲戒処分の適法性については、具体的な事実関係を踏まえた専門家への相談をお勧めします。
