はじめに
近年、「カスハラ」という言葉を耳にする機会が急速に増えています。小売業、飲食業、医療・福祉、コールセンターなど、顧客と直接接する業種を中心に、顧客等からの著しい迷惑行為によって従業員が心身の不調を来し、休職・離職に至るケースが社会問題として取り上げられるようになりました。
こうした状況を受け、2025年(令和7年)6月4日、カスタマーハラスメント対策を事業主の法的義務とすることを内容とする改正法(労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律等の一部を改正する法律、令和7年法律第63号)が国会で可決・成立し、2026年(令和8年)10月1日から施行されることになりました。これにより、パワーハラスメント・セクシュアルハラスメントと同様に、カスタマーハラスメント対策も「雇用管理上講ずべき措置」として全ての事業主に義務付けられます(※1)。
本記事では、社会保険労務士の立場から、厚生労働省・東京都等の一次情報(法令、告示、指針、実態調査データ)のみを根拠として、カスハラの定義、法改正の内容、企業が講ずべき具体的な措置、そして今から準備しておくべき実務対応について解説します。
カスタマーハラスメント(カスハラ)とは何か
厚生労働省が示す3つの要素
厚生労働省の特設サイト「あかるい職場応援団」では、職場におけるカスタマーハラスメントを、次の3つの要素をすべて満たすものと整理しています(※1)。
- 顧客、取引の相手方、施設の利用者その他、事業主が行う事業に関係を有する者による言動であること
- その言動が、労働者の従事する業務の性質等に照らして、社会通念上許容される範囲を超えたものであること
- その言動により、労働者の就業環境が害されるものであること
重要なのは、顧客等からの苦情の全てがカスハラに該当するわけではないという点です。客観的に見て社会通念上許容される範囲内で行われた指摘や要望は、たとえ厳しい表現であっても、事業者側の商品・サービスの改善につながる正当な申し入れであり、カスハラには当たりません(※1)。カスハラ対策を検討する際には、この「正当なクレーム」と「カスハラ」の境界線を、業種・業態や言動の態様・頻度などを総合的に考慮して見極める視点が不可欠です。
対面だけでなく電話・SNSも対象
カスハラは、店舗や施設での対面のやり取りに限られません。厚生労働省の整理では、電話やSNS等インターネット上で行われる言動もカスハラの対象に含まれるとされています(※1)。近年はSNSへの誹謗中傷の投稿予告や、繰り返しの電話・メールによる拘束といった、非対面型のカスハラも増加しており、企業としては対面・非対面の両面から対策を検討する必要があります。
障害者への合理的配慮との違いに注意
なお、障害者から労働者に対して、障害者差別解消法で禁止されている不当な差別的取扱いをしないよう求めること、あるいは社会的障壁の除去を必要としている旨を伝えること自体は、カスハラには当たりません。事業者は同法に基づき、負担が過重でない範囲で必要かつ合理的な配慮を行う義務があることに留意が必要です(※1)。カスハラ対策と合理的配慮の提供義務は、混同せず両立させる制度設計が求められます。
データで見るカスハラの実態
厚生労働省が委託実施した「令和5年度 職場のハラスメントに関する実態調査報告書」(令和6年3月、PwCコンサルティング合同会社)は、カスハラの深刻さを裏付ける重要な一次データです(※3)。
同調査によれば、過去3年間に労働者から「顧客等からの著しい迷惑行為」に関する相談があったと回答した企業の割合は27.9%で、前回調査(令和2年度)と比較して8.4ポイント増加しています。ハラスメント種別ごとの相談有無を見ると、パワーハラスメント(64.2%)、セクシュアルハラスメント(39.5%)に次ぐ高さであり、妊娠・出産・育児休業等ハラスメント(10.2%)を大きく上回っています(※3)。
さらに、相談があったと回答した企業のうち、実際に該当事案が「あった」と判断した割合は86.8%と、他のハラスメント類型を上回る高い水準にあります。また、カスハラの相談件数について「増加している」と回答した企業の割合は23.2%で、「減少している」(11.4%)を大きく上回っており、他のハラスメントとは異なり明確な増加傾向がうかがえます(※3)。業種別では、医療・福祉(53.9%)が最も高く、宿泊業・飲食サービス業(46.4%)、不動産業・物品賃貸業(43.4%)が続いています(※3)。
具体的なカスハラ事例としては、「継続的、執拗な言動」「威圧的な言動」「精神的な攻撃」などが多く挙げられており、これらは後述する厚生労働省指針が定める行為類型とも整合しています(※4)。こうした実態を踏まえ、国は法改正による対応強化に踏み切りました。
改正労働施策総合推進法のポイント
法改正の概要と施行日
2025年6月4日に成立した改正法(令和7年法律第63号)により、労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律(労働施策総合推進法)にカスタマーハラスメント対策の規定が新設されました。施行日は2026年(令和8年)10月1日です(※2)(※4)。
対象となる事業主の範囲について限定はなく、労働者を1人でも雇用する全ての事業主が義務の対象となります。パワーハラスメント防止措置(2022年4月に中小企業を含め全面義務化)と同じ枠組みが用いられており、既存のハラスメント防止体制を土台として拡張することが想定されています。
事業主に課される3つの規定
改正法により新設された規定では、おおむね次の内容が定められています(※2)。
- 措置義務:事業主は、職場における顧客等の言動により労働者の就業環境が害されることを防止するため、雇用管理上必要な措置を講じなければならない。
- 不利益取扱いの禁止:事業主は、労働者がカスハラに関する相談を行ったこと等を理由として、解雇その他不利益な取扱いをしてはならない。
- 他の事業主への協力(努力義務):自社の労働者等が他の事業主の労働者に対してカスハラを行った場合、当該他の事業主から事実確認等への協力を求められたときは、これに応じるよう努めなければならない。
これらの規定に基づき、厚生労働大臣が事業主の講ずべき具体的な措置の内容を指針で定めることとされており、これが次章で説明する「カスタマーハラスメント防止指針」です。
厚生労働省告示:事業主が講ずべき措置の指針
2026年2月26日、厚生労働省は「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(令和8年厚生労働省告示第51号)を告示しました(※2)(※5)。この指針は、2025年12月に案が公表され、パブリックコメントを経て確定したものです。
指針が求める雇用管理上の措置は、大きく次の4つに整理されています(既存のパワハラ・セクハラ防止指針と共通する構造です)。
- 事業主の方針等の明確化及びその周知・啓発 カスハラを行ってはならない旨の方針を明確化し、就業規則等の規程に定め、労働者に周知・啓発すること。
- 相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備 相談窓口をあらかじめ定め、労働者が利用しやすい体制を整備すること。相談内容や状況に応じて適切に対応できるようにすること。
- カスハラへの事後の迅速かつ適切な対応 事実関係を迅速かつ正確に確認し、被害者への配慮のための措置を適正に行うとともに、事案発生の原因となった業務上の問題点があれば、その改善を図ること。
- あわせて講ずべき措置 相談者・行為者等のプライバシーを保護するために必要な措置を講じ、周知すること。また、相談したことや事実確認に協力したことを理由とした不利益取扱いを行わない旨を定め、周知・啓発すること。
なお、指針では、これらの措置義務に加えて、事業主が行うことが望ましい取組み(マニュアルの整備、対応方法の研修、一人で対応させない体制づくりなど)も示されています。既に厚生労働省は業種別のカスタマーハラスメント対策企業マニュアルの整備支援を進めており、業界団体単位での対応方針策定も後押しされています。
「社会通念上許容される範囲を超えた言動」の具体例
指針および「あかるい職場応援団」では、カスハラに該当し得る言動の例を、「言動の内容」と「手段・態様」の2つの観点から整理しています(※1)。
言動の内容が社会通念上許容される範囲を超えるもの
- 商品・サービス等と全く関係のない要求(性的な要求、労働者のプライバシーに関わる要求など)
- 契約等により想定しているサービスを著しく超える要求
- 対応が著しく困難、または不可能な要求(契約金額の著しい減額要求など)
- 商品・サービスの内容と無関係な不当な損害賠償要求
手段や態様が社会通念上許容される範囲を超えるもの
- 身体的な攻撃(暴行、物を投げつける、わざとぶつかる等)
- 精神的な攻撃(脅迫、名誉毀損、人格を否定する言動、土下座の強要、盗撮等)
- 威圧的な言動(大声での威圧、反社会的な言動等)
- 継続的・執拗な言動(同じ質問や電子メールの執拗な繰り返し等)
- 拘束的な言動(長時間の居座り、電話による拘束等)
判断にあたっては、言動の目的や経緯、業種・業態、業務の性質、頻度・継続性、労働者の心身の状況、行為者との関係性などを総合的に考慮することが適当とされています(※1)。また、事業主や労働者側の不適切な対応がカスハラの原因や背景となっている場合もある点への留意も求められています。
違反した場合のリスクと安全配慮義務
改正法に基づく措置義務には、直接の罰則規定は設けられていません。もっとも、労働施策総合推進法の履行確保の仕組みとして、行政による助言・指導・勧告、勧告に従わない場合の企業名公表といった段階的な措置の対象となり得ます。
さらに、法的な措置義務とは別に、事業主には労働契約法第5条に基づく安全配慮義務があります。カスハラを放置した結果、労働者が精神疾患を発症するなどした場合、安全配慮義務違反を理由とした民事上の損害賠償責任が問われるリスクも存在します。カスハラ対策は、単なる行政対応にとどまらず、労務管理・リスクマネジメントの観点からも重要性が高いといえます。
広がる自治体条例:東京都カスタマー・ハラスメント防止条例
国の法改正に先立ち、地方公共団体レベルでもカスハラ対策の動きが進んでいます。その先駆けが、業種等を限定しない全国初のカスハラ防止条例として制定された「東京都カスタマー・ハラスメント防止条例」(令和6年東京都条例第140号)です。2024年10月4日に成立、同年10月11日に公布され、2025年(令和7年)4月1日から施行されています(※6)。
同条例は、カスハラの禁止を掲げるとともに、東京都・顧客等・就業者・事業者それぞれの責務、カスハラ防止に関する指針(ガイドライン)の策定などを定めています。条例自体に罰則規定はありませんが、行政の指針として2024年12月19日に「カスタマー・ハラスメントの防止に関する指針(ガイドライン)」が策定・公表されており、事業者が取り組むべき具体的な内容が示されています(※6)。国の改正法とは異なり、東京都条例は顧客等自身の行為を直接規律する点に特徴があります。今後、他の地方公共団体でも同様の条例制定の動きが広がることが見込まれており、事業所を展開するエリアによっては、国の法律と自治体条例の双方を踏まえた対応が必要になります。
企業が今から準備すべきこと
2026年10月の施行まで時間は限られています。社会保険労務士の立場から、企業が優先的に着手すべき実務対応を整理します。
1. 就業規則・ハラスメント防止規程の見直し 既存のパワハラ・セクハラ防止規程にカスハラの定義・禁止方針・対応手順を追記し、就業規則との整合性を確認します。方針の明確化・周知啓発は指針が求める措置の第一の柱です。
2. 相談窓口の実効性の確認 既存の相談窓口がカスハラの相談も受け付けられる体制になっているか、相談対応者がカスハラの特性(顧客が相手であるための対応の難しさ等)を理解しているかを点検します。
3. 対応マニュアル・エスカレーションフローの整備 現場の従業員が一人で対応を抱え込まないよう、上長への報告基準、警察・弁護士等外部機関への連携基準、悪質な要求への対応方針(サービス提供の停止等)をあらかじめ明文化しておくことが望まれます。
4. 管理職・従業員向け研修の実施 指針が「望ましい取組み」として挙げる研修の実施は、現場対応力の底上げに直結します。厚生労働省や業界団体が公表する研修動画・マニュアルの活用も有効です(※5)。
5. 記録・事後対応の体制整備 事案発生時の事実確認、被害者への配慮、再発防止策の検討といった事後対応のプロセスを、あらかじめ手順化しておくことが、迅速かつ適切な対応につながります。
まとめ
カスハラ対策は、2026年10月1日の改正労働施策総合推進法の施行により、パワハラ・セクハラと並ぶ事業主の法的な措置義務となります。背景には、厚生労働省の実態調査が示す相談件数の増加傾向という客観的なデータがあり、東京都をはじめとする自治体条例の広がりも、社会全体でカスハラ問題への対応が求められていることを示しています。
企業としては、法違反リスクの回避にとどまらず、従業員が安心して働ける就業環境を確保し、離職防止や生産性向上につなげるという観点からも、早期の体制整備が重要です。自社の業種・業態に応じた具体的な対応については、就業規則の整備状況や相談体制の現状を踏まえた個別の検討が必要になりますので、顧問社会保険労務士等の専門家に相談しながら準備を進めることをお勧めします。
参考文献・出典(一次情報)
- (※1)厚生労働省「カスタマーハラスメントとは」(あかるい職場応援団) https://www.no-harassment.mhlw.go.jp/foundation/harassment_list/customer-hara/
- (※2)厚生労働省「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(令和8年厚生労働省告示第51号) https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/001662584.pdf
- (※3)厚生労働省委託事業「令和5年度 職場のハラスメントに関する実態調査報告書(概要版)」(令和6年3月、PwCコンサルティング合同会社) https://www.mhlw.go.jp/content/11200000/001541298.pdf
- (※4)政府広報オンライン「カスハラとは?法改正により義務化されるカスハラ対策の内容やカスハラ加害者とならないためのポイントをご紹介」 https://www.gov-online.go.jp/article/202510/entry-9370.html
- (※5)厚生労働省「あかるい職場応援団」業種別カスタマーハラスメント対策の取組支援 https://www.no-harassment.mhlw.go.jp/countermeasure/customer_hara_industry/
- (※6)東京都産業労働局「東京都カスタマー・ハラスメント防止条例」 https://www.hataraku.metro.tokyo.lg.jp/plan/kasuhara_jourei/index.html
※本記事は執筆時点で公表されている法令・告示・行政資料に基づいて作成しています。今後、指針の運用等に関する追加のQ&Aや解釈通達が発出される可能性がありますので、実際の制度対応にあたっては、最新の厚生労働省・所轄労働局の公表情報をご確認いただくとともに、個別の事情については顧問社会保険労務士等の専門家にご相談ください。
