はじめに
インターネットで「懲戒処分の指針」と検索すると、多くの場合、国家公務員に対する懲戒処分の量定(処分の重さ)の目安を定めた人事院の通知文書がヒットします。これは本来、国家公務員に適用されるものであり、民間企業にそのまま適用される法令ではありません。
しかし、この人事院の指針は、懲戒処分の量定を検討する際の「考え方の枠組み」として非常に整理されており、民間企業の人事労務担当者や経営者にとっても、就業規則の運用や懲戒処分の相当性を検討する際の参考資料として有用です。
本稿では、社会保険労務士の立場から、
- 人事院「懲戒処分の指針」の内容
- 民間企業における懲戒処分の法的根拠(労働契約法・労働基準法)
- 懲戒処分が有効と認められるための要件
- 裁判例から見る懲戒権濫用の判断枠組み
- 実務上の留意点
について、法令の条文、行政官庁の通達・指針、最高裁判所の判例など、一次情報に基づいて解説します。なお、本稿は一般的な法令解説を目的とするものであり、個別の事案における懲戒処分の適否を保証するものではありません。実際の処分の実施にあたっては、弁護士・社会保険労務士等の専門家に個別にご相談ください。また、税務に関する内容は本稿の対象外です。
1. 人事院「懲戒処分の指針について」とは
「懲戒処分の指針について」は、平成12年3月31日付けで人事院事務総長から各府省等に発出された通知(職職-68)です。人事院のウェブサイトでは、その趣旨について次のように説明されています。
人事院では、この度、懲戒処分がより一層厳正に行われるよう、任命権者が懲戒処分に付すべきと判断した事案について、処分量定を決定するに当たっての参考に供することを目的として、別紙のとおり懲戒処分の指針を作成しました。
出典:人事院「懲戒処分の指針について」(職職-68) https://www.jinji.go.jp/kisoku/tsuuchi/12_choukai/1202000_H12shokushoku68.html
この指針は、代表的な非違行為(法令違反や全体の奉仕者にふさわしくない非行等)の類型ごとに、標準的な処分の種類(免職・停職・減給・戒告)を「標準例」として示したものです。あわせて、具体的な処分量定を決定するにあたって考慮すべき要素として、次の4点が挙げられています(前掲人事院通知より)。
- 非違行為の動機、態様及び結果はどのようなものであったか
- 故意又は過失の度合いはどの程度であったか
- 非違行為を行った職員の職責はどのようなものであったか
- 他の職員及び社会に与える影響はどのようなものであるか
さらに、日頃の勤務態度や非違行為後の対応等も含め総合的に考慮して判断するものとされており、標準例より重い処分となる場合として、動機・態様が極めて悪質であるとき、結果が極めて重大であるとき、過去に類似の非違行為で懲戒処分を受けたことがあるときなどが挙げられています。
1-1. 「懲戒処分の公表指針」との違い
人事院は、この量定指針とは別に、平成15年11月10日付け(総参-786)で「懲戒処分の公表指針について」も発出しています。これは、懲戒処分そのものの量定基準ではなく、処分を行った場合に公表するかどうか・どのように公表するかの原則的な取扱いを示したものです。
出典:人事院「懲戒処分の公表指針について」(総参-786) https://www.jinji.go.jp/kisoku/tsuuchi/12_choukai/1203000_H15sousan786.html
同指針では、職務遂行上の行為またはこれに関連する行為に係る懲戒処分、および職務に関連しない行為に係る懲戒処分のうち免職または停職であるものを公表の対象とし、事案の概要・処分量定・処分年月日・所属や役職段階等の被処分者の属性について、個人が識別されない内容とすることを基本とする旨が示されています。
なお、これらの人事院指針はいずれも国家公務員法(国公法)の適用を受ける国家公務員を対象とした行政内部の通知であり、民間企業の労働者に直接適用されるものではない点に注意が必要です。地方公共団体や独立行政法人等が、この人事院指針を参考に独自の懲戒指針を定めている例も見られます。
2. 民間企業における懲戒処分の法的根拠
民間企業の労働者に対する懲戒処分については、人事院指針のような行政指針ではなく、労働契約法と労働基準法が直接の法的根拠となります。
2-1. 労働契約法第15条(懲戒権濫用法理)
労働契約法第15条は、次のとおり定めています。
(懲戒) 第十五条 使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、当該懲戒は、無効とする。
出典:労働契約法(平成十九年法律第百二十八号)第15条(e-Gov法令検索) https://laws.e-gov.go.jp/law/419AC0000000128
この条文は、使用者に懲戒権があることを前提としつつ、その行使が「客観的に合理的な理由」を欠き、または「社会通念上相当」と認められない場合には、懲戒権の濫用として無効になることを定めたものです。人事院指針にある「動機・態様・結果」「故意又は過失の度合い」「職責」「社会に与える影響」といった考慮要素は、この「客観的合理性」「社会通念上の相当性」を判断する際の視点として、民間企業においても参考にすることができます。
2-2. 労働基準法第89条(就業規則への記載義務)
懲戒を行うためには、そもそも就業規則に懲戒の種類と事由が定められている必要があります。労働基準法第89条は、就業規則の記載事項を定めており、その第9号で次のように規定しています。
第八十九条 常時十人以上の労働者を使用する使用者は、次に掲げる事項について就業規則を作成し、行政官庁に届け出なければならない。(中略) 九 表彰及び制裁の定めをする場合においては、その種類及び程度に関する事項
出典:労働基準法(昭和二十二年法律第四十九号)第89条(e-Gov法令検索) https://laws.e-gov.go.jp/law/322AC0000000049/
制裁(懲戒)に関する定めは「相対的必要記載事項」とされており、懲戒制度を設ける場合には、その種類(戒告・減給・出勤停止・降格・諭旨解雇・懲戒解雇等)と程度を就業規則に明記し、労働基準監督署長に届け出る必要があります。
2-3. 就業規則への事前明記を求めた最高裁判例(フジ興産事件)
就業規則に懲戒の種類・事由をあらかじめ定めておくことが懲戒処分の前提となることは、最高裁判所第二小法廷判決(平成15年10月10日、フジ興産事件)でも示されています。厚生労働省が公表している労働政策審議会関係資料においても、この判決について次のように整理されています。
使用者が労働者を懲戒するには、あらかじめ就業規則において懲戒の種類及び事由を定めておくことを要するとされた。
出典:厚生労働省「労働契約法制に関する研究会」資料 https://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/09/dl/s0929-15e49.pdf
すなわち、就業規則に定めのない事由や種類の懲戒処分を行うことは、原則として認められません。就業規則の懲戒事由が抽象的すぎる場合や、実態に即していない場合には、いざ懲戒処分を行おうとした際に「就業規則上の根拠がない」として無効とされるリスクがあります。
2-4. 労働基準法第91条(減給の制裁の上限規制)
懲戒処分のうち「減給」については、労働基準法第91条によって上限額が明確に定められています。
(制裁規定の制限) 第九十一条 就業規則で、労働者に対して減給の制裁を定める場合においては、その減給は、一回の額が平均賃金の一日分の半額を超え、総額が一賃金支払期における賃金の総額の十分の一を超えてはならない。
出典:労働基準法第91条(e-Gov法令検索) https://laws.e-gov.go.jp/law/322AC0000000049/
これは、1つの事案(一事案)についての減給額が「平均賃金の1日分の半額」を超えてはならず、複数の事案がある場合でも、一賃金支払期における減給の総額が「賃金総額の10分の1」を超えてはならないという規制です。就業規則に減給規定を設ける際は、この上限を超えない内容にする必要があります。
3. 懲戒処分が有効と認められるための4つのポイント
これまで見た法令・判例を踏まえると、民間企業における懲戒処分が有効と認められるためには、おおむね次の4点を満たす必要があると整理できます。
(1)就業規則への明記と周知
労働基準法第89条第9号に基づき、懲戒の種類・事由を就業規則に定め、労働者に周知していることが前提となります(フジ興産事件最高裁判決)。
(2)客観的に合理的な理由があること
懲戒の対象となる事実が実際に存在し、それが就業規則上の懲戒事由に該当することが必要です(労働契約法第15条)。
(3)社会通念上相当な量定であること
非違行為の内容に比して処分が重すぎないこと(相当性)が求められます。人事院指針が示す「動機・態様・結果」「故意・過失の程度」「職責」「社会的影響」といった考慮要素は、この相当性を検討する際の視点として参考になります。
(4)適正な手続きを踏んでいること
懲戒処分の実施にあたっては、事実関係の調査、本人への弁明の機会の付与など、適正な手続きを経ることが望ましいとされています。就業規則に懲戒手続き(弁明の機会、懲戒委員会の開催等)を定めている場合は、その手続きに従う必要があります。
4. 裁判例に見る懲戒権濫用の判断
懲戒処分の有効性が争われた最高裁判例として、以下の2件が知られています。
- 最高裁判決 平成24年4月27日(地位確認等請求事件):無断欠勤を理由とする諭旨退職の懲戒処分について、労働基準法第89条、労働契約法第15条・第16条が問題となった事案です。
- 最高裁判決 平成27年2月26日(懲戒処分無効確認等請求事件):職場におけるセクシュアルハラスメントを理由とする出勤停止の懲戒処分について、労働契約法第15条の懲戒権濫用の該当性が争われた事案です。
いずれも、懲戒事由の該当性だけでなく、非違行為の内容・程度、それまでの指導の有無、処分の重さの相当性などが総合的に判断されています。
5. 就業規則の整備における留意点
厚生労働省は、就業規則作成の参考資料として「モデル就業規則」を公表しており、服務規律や制裁に関する規定例が示されています。
出典:厚生労働省「モデル就業規則」 https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11200000-Roudoukijunkyoku/0000118951.pdf
もっとも、モデル就業規則はあくまで一般的な規定例であり、自社の業種・職種・組織体制に即した懲戒事由・手続き規定になっているかどうかは、個別に検討する必要があります。社会保険労務士として企業をご支援する際には、次のような点を確認することをお勧めしています。
- 懲戒の種類(戒告・減給・出勤停止・降格・諭旨解雇・懲戒解雇等)とその程度が就業規則に明記されているか
- 減給規定が労働基準法第91条の上限を超えていないか
- 懲戒事由が抽象的すぎず、想定される非違行為を網羅できているか
- 弁明の機会の付与など、適正な手続きが規定されているか
- 処分量定を検討する際の考慮要素(動機・態様・結果、職責、社会的影響等)について、社内で判断基準を共有できているか
まとめ
「懲戒処分の指針」は、本来は国家公務員を対象とした人事院の通知ですが、そこに示された処分量定の考え方(動機・態様・結果、故意・過失の程度、職責、社会的影響等の総合考慮)は、民間企業が労働契約法第15条の「客観的合理性」「社会通念上の相当性」を検討するうえでも参考になります。
一方で、民間企業における懲戒処分の直接の法的根拠は、労働契約法第15条および労働基準法第89条・第91条であり、就業規則への明記と周知、適正な手続きを経ることが不可欠です。懲戒処分は労働者の地位や生活に大きな影響を与える重い措置であるため、就業規則の整備段階から、顧問社会保険労務士等の専門家と連携しながら、慎重に制度設計を行うことをお勧めします。
参考・引用資料一覧
- 人事院「懲戒処分の指針について」(平成12年3月31日 職職-68) https://www.jinji.go.jp/kisoku/tsuuchi/12_choukai/1202000_H12shokushoku68.html
- 人事院「懲戒処分の公表指針について」(平成15年11月10日 総参-786) https://www.jinji.go.jp/kisoku/tsuuchi/12_choukai/1203000_H15sousan786.html
- 労働契約法(平成十九年法律第百二十八号)第15条・第89条関連|e-Gov法令検索 https://laws.e-gov.go.jp/law/419AC0000000128
- 労働基準法(昭和二十二年法律第四十九号)第89条・第91条|e-Gov法令検索 https://laws.e-gov.go.jp/law/322AC0000000049/
- 厚生労働省「労働契約法制に関する研究会」資料(フジ興産事件最高裁判決に関する記述を含む) https://www.mhlw.go.jp/shingi/2005/09/dl/s0929-15e49.pdf
- 厚生労働省「モデル就業規則」 https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11200000-Roudoukijunkyoku/0000118951.pdf
(本稿は上記一次情報に基づき作成しています。個別の事案への当てはめについては、顧問社会保険労務士・弁護士等の専門家にご相談ください。)
